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JPBA略歴

団体の歴史概略

日本プロポケットビリヤード連盟(JPBA)は
創立50余年を経過しました。
これまでの変遷の概略をご紹介します。

現在のJPBAという名称になったのは、1992年のこと。
それまで名称は必要に応じて
さまざまな「変更」がされてきました。
しかし、日本のプロ選手団体として一貫した姿勢で
「日本のポケットビリヤード普及」に努力してきた事実は
その歴史となって現在に至っています。

・1965年
プロ選手団体創設された。

・1967年
京都・大阪を中心にプロ選手団体として『日本プロポケットビリヤード連盟』(NPP)活動開始。
1期生は、森口信幸(会長)、堀江聰太郎、田中守、野山良一、野山修二、藤間一男、桜本守、太田紘治、鍵村哲男、花谷勝、大橋公平。2期生は井上彰(現会長)、菅伸夫、3期生は浪江隆(現理事長)、原田美恵子(初の女子プロ)。

京都にて『第1回プロ選手権大会』開催。種目はローテーション(優勝:藤間一男)

・1969年
京都にて『第2回全日本プロポケットビリヤード選手権大会(国際オープン)』開催。種目は14-1(優勝:ジョー・バルシス)とローテーション(優勝:浪江隆)。総合優勝はジョー・バルシス。以降、『プロ選手権』、『全日本選手権』として現在まで毎年開催となる。

・1971年
団体名称をNPPから『PBCJ』(Professional Billiard Congress Of Japan)に変更。『プロ選手権』も大阪府豊中市の『よみうり文化ホール』へ会場を移し、大会規模を拡大。

田中守氏が関東へのポケットビリヤード普及の足がかりを得るべく東京で活動。その結果、長矢賢治、角当哲郎、奥村健などの有名選手が活躍するようになる。

・1974年
アメリカ・ロサンゼルスで開催された『女子14-1世界選手権』で原田美恵子が優勝。

・1976年
ジム・レンピ(アメリカ)、ホセ・パリカ(フィリピン)が『プロ選手権』に初参戦。レンピが総合優勝を果たす。

・1979年
エフレン・レイズ(フィリピン)が『プロ選手権』に初参戦。ナインボールで奥村健を破り優勝(総合優勝は奥村健)

・1982年
奥村健が14-1とローテーションを制して総合優勝。『プロ選手権』4連覇を達成。

・1986年
映画『ハスラー2』公開。日本にビリヤードブームが起こる。

・1988年
田中守氏の努力が実り、キャロム全盛の関東でポケットが根付き始める。関東の更なるポケットの発展のため、独自の活動を行う『JPPA(Japan Pool Players Asociation)を設立。PBCJとJPPAの会長には太田紘治氏が就任。以降東日本のポケット界が飛躍的に発展を遂げる。

『ジャパンオープン』、『北陸オープン』などの全国オープン戦がスタート。地方にプロ選手が続々と誕生。

『プロ選手権』に女子の部が創設され、原田美恵子が初代女王となる。

・1989年
従来、『日本アマチュアポケットビリヤード連盟』(JAPA)所属の連盟員しか受験資格の無かったプロテストをオープン化し、公開プロテストをスタート。

・1990年
『日本ビリヤード協会』(NBA)が、公益法人として文部省より「社団法人」の認可を受ける。

・1992年
プロ団体としてNBAに加盟するにあたりPBCJとJPPAは発展的に名称を変更をし『日本プロポケットビリヤード連盟』(JPBA)として活動開始。全国に支部が確立されていった。

JPBAのNBA加盟を記念して4月11日~13日の日程で『東京オープン ナインボールトーナメント』を開催。HNK・BS放送で全国オンエアされ多大な反響を得る。『全日本選手権』の規模もさらに拡大し外国人選手も増加。さらに大規模な大会が次々と各地で開催されるようになる。

・1994年
アメリカ・シカゴで開催された『ナインボール世界選手権』で奥村健が日本人として初の優勝。

・1995年
『世界ビリヤードスポーツ連合』(WCBS)が『国際スポーツ連盟機構』(GAISF)に加盟。

・1996年
『国際オリンピック委員会』(IOC)がWCBSを暫定承認。

・1997年
NBAによるCSカード(Cue Sportsカード)選手登録制度スタート。

・1998年
台湾・台北で開催された『ナインボール世界選手権』で高橋邦彦が優勝し、日本選手として2人目の世界チャンピオンが誕生。

IOC総会にてWCBSが正式承認を得る。

タイ・バンコクで開催された『第13回アジア競技大会』で、ビリヤードが始めて正式種目となる。高橋邦彦が銀メダル、川端聡が銅メダルなど、日本は計6個のメダルを獲得。NBA総裁「寛仁親王殿下」による祝勝会が東京で催される。

・2000年
東京において『UCCワールドレディースナインボール』開催。

・2001年
兵庫において『女子ナインボール世界選手権』と『ジュニアナインボール世界選手権』を同時開催。秋田で開催された『第6回ワールドゲームス』に、ビリヤードが正式種目として初参加。

・2002年
韓国・釜山にて開催された『第14回アジア競技大会』に、ビリヤードが正式種目として参加。

東京の霞会館にて「親王牌牌戴式」開催。「寬仁親王牌」が下賜され、『プロ選手権』の大会名称を『全日本選手権』と変更。大会フォーマットもステージ1・ステージ2方式となる。

・2004年
会員数が男子218名、女子56名、計274名となる。選手強化を目的に『日本台湾若手対抗戦』がスタート。

・2005年
兵庫県で開催された『第38回全日本選手権』で奥村健が優勝。日本選手として初めて寬仁親王牌を獲得。

・2006年
会員数287名。NBAが『日本オリンピック委員会』(JOC)の正式加盟団体となる。

カタール・ドーハにて開催された『第15回アジア競技大会』の男子エイトボールで、川端聡が日本のポケットビリヤード界初となる金メダルを獲得。

・2007年
会員数302名。大井直幸が1996年にスタートした現在のJPBAランキングシステム初となるルーキーでの年間ランキング1位を獲得。

・2008年
会員数306名。国内ツアー・海外トーナメントが充実。多くの選手に海外試合挑戦傾向が高まる。

・2009年
中国・香港にて開催された『第5回東アジア競技大会』で河原千尋(ナインボールシングルス)が銀メダル、大井直幸(ナインボールシングルス)が銅メダルを獲得。

・2010年
会員数311名。アメリカ・ラスベガスで開催された『ワールドプールマスターズ』で栗林達が、同じラスベガスで開催された『USオープン10ボール』で羅立文が準優勝。 

寬仁親王殿下が初めて『全日本選手権』にご臨席。

・2011年
カタール・ドーハにて開催された『ナインボール世界選手権』で赤狩山幸男が優勝。奥村健、高橋邦彦に次いで日本人3人目の世界チャンピオンが誕生。

・2012年
赤狩山幸男がJPBAプロとして初めてWPA世界ランキング1位に進出。

カタール・ドーハにて開催された『ナインボール世界選手権』で、大井直幸が3位入賞。

・2013年
東京で開催された『第26回ジャパンオープン』で、土方隼斗が日本選手として10年振りに優勝。

中国・北京で開催された『世界チーム対抗戦』で日本チームが準優勝。

『第46回全日本選手権』で梶谷景美が女子最多となる4度目の優勝。

・2014年
中国・北京で開催された『世界チーム対抗戦』で日本チームが3位入賞。

・2015年
JPBA総会にて『日本アンチ・ドーピング機構』(JADA)職員によるドーピング講習実施。指導に従い『ジャパンオープン』にてドーピング検査実施。

・2016年
台湾・台北で開催された『アジア選手権』で羅立文が連覇を達成。

中国・峨眉山で開催された『女子ナインボール世界選手権』で河原千尋が準優勝。

※協力:BABジャパン(CUE’S)

以上、概略として紹介させていただきます。

これまでJPBAは各位各所より多大なご声援を頂いてまいりました。
今後更に、業界の発展並びに競技の普及に努めてまいります。
みなさまのご支援ご声援をお願いいたします。

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